公立学校教員を辞めた方の体験談まとめ(主なきっかけが体調不良以外の方)

生徒の進路相談に乗っていて、自分はどうなんだと考えてしまった(2023.9.10投稿)

Mari Kawachiさんは中堅校→困難校の高校教員として5年勤めた後、ファッションや美容関係の仕事に転職した方です。高校で進路相談をしていたら、そもそも自分が教員を続けたいのか疑問をもつようになってしまったことが転職のきっかけだそうです。

高校生という若者に接していながら、民間に転じたときに、仕事上必要な若者トレンドのに疎くて大変だったという話から、学校教育現場や教師という立場の特殊性を知ることができ、大変参考になります。

音楽で食べていく道は、教員以外にもいろいろあることが分かった(2023.9.10投稿)

ぴあでんさんは、音楽を仕事にしたいということで、音楽専科の先生を目指して教員採用試験を受け小学校に配属されるも、音楽専科の先生がいたので普通に担任として音楽以外の科目を受け持つことに。その後、中学校に転任し音楽の授業を担当する機会を得ますが、育休を取ったことなどが転機になり、いったんフルタイムに戻った後、退職し音楽を活かしたフリーランスの道に進まれています。

教育系公務員出身者のリボルビングドア(人材流動化)のロールモデル(2023.9.3投稿)

ご紹介するのは竹本雅美さん。とにかく、noteを見ていただきたいです。大学卒業後、高校教員として勤務した後、県の教育庁に引き抜かれ(行政っぽい調整業務ができると見込まれた教員ならよくある話)、インターハイ関係の業務に4年間従事、それから現場に戻らず文科省・スポーツ庁に派遣され3年勤務。その後戻った県教育庁でカルチャーギャップを生じ、半年で退職に至ります。

とにかくスポーツのお仕事が好きな方なのでしょうね。スポーツを通じたまちづくりの仕事ができる民間企業を見つけ出し、転職。4年半後、その担当から外れることになったのを機に、退職。

その後は、資格取得のための勉強期間、学童保育の仕事を経て、2023年度からは県立の特別支援学校で勤められています。

教員を辞め、民間で働き、立場を変えてまた戻る(2023.8.27投稿)

4大卒後、小学校の臨時教員と正規教員を経て、結婚や妻の出産など、生活上の大きな変化と、上司との関係がきっかけとなり30歳で教職を離れたタビセンさん。学童指導員とWebライターを経て広告会社勤務に至りますが、家族の事情で再び臨時教員(常勤講師のことかな?)に戻られたとのこと。

教育に強い思いを持っておられ、noteでは教育論を多く投稿されていますが、通底するのは、教員には時間的・精神的余裕が必要だ、ということだと思われます。

教員生活にも恵まれていたが、後悔しない人生を送るために(2023.8.27投稿)

中学校→小学校→日本人学校→小学校と、学校種を変えながら教員生活を15年続けてきた内田琢也さん。教員としては恵まれた環境にいたとのことですが、一教員としてできることの限界、忙しすぎて理想からかけ離れてしまう現実などに向き合い、このままいくと、ズルズルとタイミングを失い、挑戦できず5年後、10年後に後悔すると思い、辞める決心をしたそうです。現在は、イベント運営学校の主宰などをされています(マルチな活動・肩書をお持ちで、ひとくくりに紹介するのが難しいです)。

授業以外の仕事(校務分掌)が忙しく、身が持たない(2023.8.19投稿)

激務の小学校教員として5年勤め、出産・育休を経て、我が子との時間を大切にするために退職を選択したchoco先生。退職後は、時間にゆとりのある非常勤講師に転身しつつ、副業にチャレンジするそうです。教員の仕事がなぜブラックと言われるのかなど、やりはじめると、やるべきことは決してなくならない教員の仕事の裏側がたくさん紹介されています。

教員生活22年、最後の数年は辞める辞めないで揺れ動く。最後は50代で起業を決断(2023.8.19投稿)

畠山忠さんは、民間企業を経て、小学校教員へ転職。長らく、やりがいや充実感を感じてきたはずなのですが、年齢による体力低下や、変わりゆく時代・保護者の影響で、教職のモチベーションを少しずつ削られていき、仕事を続けるべきかどうか悩む生活に入ります。最終的には起業を決断されました。

詳しくは、ご本人の著書によくまとまっています。

教職公務員の安定を失っても別に怖くない境地に至れば、ある意味無敵(2023.8.6投稿)

特別支援学校の教員を務めていた、さちこバナナさんは、育休取得中にいろいろ思いを深め、人脈も広げた結果、メタバース空間でのオンライン学校(ニンジャ寺子屋)の校長先生になるために公立学校を退職しました。転職を決めたのには、どこでも稼げる状態を作りたい、自由で余裕のある働き方をしたいなどの理由があったようです。
 転職の経緯よりも、エッセイ的な内容が主に書かれているnoteの記事数はかなり多く、転職に関係するものを探すのが大変なので、キュレーションの一環として、複数の主要記事をリンクしておきます(新しいものから並べていますが、古いものから見ていくと、心境の変化を知ることができて参考になります。)。

子どもと向き合える仕事を求めて(2023.7.29投稿)

もともと、大学で心理学を専攻し、児童養護施設に入ったsumiさん。その後、家庭事情で退職、子どものそばにいられる仕事として小学校教員に転職したものの、そこは自分が理想とする人になれる場所ではなかったようです。また、教員不足で忙しい職場でキリキリ働くよりも、もっと豊かな環境を子どもたちに提供することに力を注ぎたいという思いも募り、教員を退職。現在はフリースクール関係のお仕事をされています。

外国と日本の教育現場の違いに引っかかりを覚えていた(2023.7.16投稿)

夢だった小学校教員を4年勤めたmahoさんは、大学在学中、アメリカの小学校でティーチングアシスタントのボランティアをしたときの経験と、日本の教育現場とのギャップが引っ掛かり続け、「日本と海外の教育の違いをそれぞれ現地で学び、日本の教育をより良いものへと変える」という第2の夢のため、退職を選択しました。

ただし、日本人学校とJICA(おそらく青年海外協力隊のことと思われる)に転じる道は選択肢から外れ、オーストラリアへの保育留学を決意されました。日本と外国の小学生の行動様式の違いを探るためには、就学前の保育の状況を知る必要があるという考えから、この進路を選んだそうです。

メンタルで退職したという記載はありませんが、辞めたあと健康になったとは書いてあり、やはり教員が激務であることがわかります。