国家公務員(一般事務職・技術職)を辞めた方の体験談まとめ(noteリンク集)

本来なら、霞が関の本省と地方支分部局、キャリア組(Ⅰ種・総合職)とノンキャリア組(Ⅱ種・Ⅲ種・一般職)の分類があってもよいのでしょうが、そこまでのご経歴を明らかにしている方ばかりではないので、専門職を除く国家公務員をひとまとめにしています。今後、再分類する可能性はありますが。

若手の頃から常に持ち続けていた「ずっとここだけにいたくはないな」という気持ち(2023.9.24投稿)

summer岳さんは、大学院終了後、国家公務員として地方出先機関に入り、その後東京(おそらく霞が関)へ転勤。加害者臨床など、犯罪関係の心理系のお仕事ということなので、おそらくH省ではないかと思われます。産休後復帰した仕事も面白かったそうですが、公務員の宿命たる、まったく異なる業務への異動がチラついてくる中で、出身県で心理職の経験者採用枠を見つけて応募。

結局、国家公務員としては20年弱勤めた40代半ばに、地方公務員として児童相談所勤務となりました。しかし、役所の人たちが「自分たちのやり方がスタンダードだ」ということに疑いを持っていないということに違和感を感じ、2年後に地方公務員も退職するに至ります。現在は民間企業でカウンセリングの仕事をされているそうです。

極貧家庭からキャリア官僚になるジャパニーズドリーム実現、のはずだったが(2023.7.1投稿)

Akiraさんは、母子家庭出身で公立小中高から中堅大学(本人談)に進み、国家総合職試験に合格し、晴れて霞が関のキャリア公務員として勤め始めました。しかし、尊敬できる上司を見いだせず、仕事がつまらないと感じて退職。その後、法科大学院に合格し進学するも、経済的な問題から、進級基準を満たしながらも中退を選択することに。

その後、将来の夢に向けた勉強資金を貯めるため一念発起。とてもクレバーな方なので、仮の姿として水商売(ホスト)でお金を貯めることを決意して、今に至ります。

副業を止められたことが退職の一因(2023.5.31投稿)

霞が関の若手官僚として深夜まで激務の中で働きながら、趣味の写真撮影もこなしていた高埜志保さん。謝礼付きで写真撮影を頼まれたり、作品を販売できるほどの実力をお持ちだったこともあり、どこまでなら許されるかを人事部門に相談したものの、副業規制の壁は高く撮影業務の機会損失を生んだようです。結局、他律的で、持続可能な働き方とはいいづらい国家公務員の仕事に疑問を感じ、写真撮影との両立が難しいこともあって霞が関を飛び出す決断をし、副業が認められた知財関係のお仕事に転職されました。