地方公務員といっても事務職から技術職まで、仕事内容は様々。必ずしも職種の詳細を明らかにした体験談を書いている方ばかりではないので、細かく分類せず掲載しています。
増えてきたので、都道府県庁と市町村についてはページを分けました。
大手食品メーカーを皮切りに幾多の転職をへて県庁へ経験者採用。しかし、人生において何が大切かを悟り、海外移住へ(2024.2.25投稿)
大学卒業後、大手食品メーカーに入り、欧州駐在を経験し、外資系企業、学校法人、県庁と渡り歩いたお仕事やめ太郎さん。民間時代だけでも、職種の振り幅は営業、ブランドマネジメント、マーケティング。学校法人では経営、行政では観光、福祉、地域振興…。ケースワーカーもされていて、リアルな仕事経験もnoteに投稿されてます。
公務員退職のきっかけは、育児中に奥さんが体調を崩し、ご本人が育休を追加で取ることになり、公務員人生に思うところがあったのと、奥さんから欧州移住を提案されたことのようです。人生は自分(たち)のもの。「庁畜」であっていいはずがないので、その決断に幸あれ!と思いますね。
子育て主夫に転身するから noteを始めようと思ったきっかけ、それは令和5年の年末に20年間続けてきた仕事を辞めて子育て主夫に転身する事を決心したから。今までの経験が誰かの参考になればこれ幸いと思い何かしら文章を書こうと思った。 転職4回。よもや自分が学生の時に44歳になった時に既に5つの会社で働いているとは想像しなかっただろう。しかも、コテコテの大企業から欧州へ駐在する事も想像していなかったし、そこから外資系や学校法人、はたまた県庁職員になる事なんて誰が予想出来たろうか。そもそも公務員試験の勉強が嫌で就職氷河期にも関わらず民間を目指したタイプである。 この間の業務は民間で
高校生活 北関東に生まれて団体職員の父と専業主婦の母に育てられる。裕福でもないし貧乏でもなく、不自由なく育ててもらった。幼稚園から高校まで徒歩や自転車で通える同じ学区内の狭い範囲で過ごした。北関東の多くの県の公立進学校がそうであるように男子校に進学した。トップレベルの進学校ではない。偏差値で言えば50台後半くらいだろうか。毎年30人程度が国公立大学へ進学して、私立で言えば早慶に数人受かる程度の進学校だ。つまりそれほどレベルが高い学校ではない。 大学生活 高校在宅中にニュージーランドに8ヶ月の語学留学を経験した後に1年高校を留年して中央大学の法学部へと進学した。法曹を目指すという高
結論から先にお話しすると、2度の育休を経験する事により私の仕事に対する価値観、対価としてのお給料、家族のあるべき姿に対する考えは180度変わった。結果として長女の誕生から2年半後、私は県庁職員を退職して主夫への転身を決意した。 令和3年6月長女の誕生 予定外の帝王切開と出産直前の検査で発覚した口唇裂という疾患(唇がウサギのように縦に切れている状態で産まれてくること。3パーセント程度の出現率)であったが長女は元気に誕生した。普通の哺乳瓶や妻の乳首からはミルクが飲めず、専用の哺乳瓶でゆっくり30分程度時間をかけて飲ませるのは昼夜問わず大変であったが、この想定外の疾患によって娘が手術を
みなさん公務員の仕事についてどのようなイメージをお持ちだろうか。私は某県庁に経験者採用で入庁し、観光、福祉、文化といった分野で計5年働いた。 もともとは民間で15年程働いていた私はというと、公務員に対して、定時で帰れる、そんなに仕事は大変じゃない、辛い仕事はない、といったようなイメージを持っていた。そしてこの認識はだいたい間違いだった。 配属先によって業務内容はガラリと変わるし、2〜3年おきの異動で例えば建設関係から農業関係など全く関係ない部署に配置転換される公務員の仕事は外部が思うほど楽ではない。 綺麗な景色をお楽しみください 私の場合は特に福祉の分野がなかなか貴重な体験だっ
政治や忖度に支配され税金のムダとわかる事業にも、裁量の余地のない定型業務のいずれにも失望。正義感の強い人には県庁は向かない(2024.1.3投稿)
某県庁の花形部門で活躍を続けていたいろはすさん。そういう部署にいたからこそ、首長・議員・業界団体に忖度した、本当にこんなことに税金を使っていいのか?と疑問を感じる仕事ばかりなのに失望し、転職活動を経験。しかし家庭の事情で転職を見送ります。その後、政治色のない定型業務ならば悩みもなくなるだろうと異動を果たすも、工夫もへったくれもない仕事に飽き足らず、結局家族を説得して民間に転職する道を選びました。
こんにちは。某県庁職員をやっておりますいろはすです。 今回の記事では、私が地方公務員(事務職・行政職)から民間企業(IT業界)に転職することとなった理由やその経緯について、書いていこうと思います。 公務員を目指している方や公務員、公務員で転職を考えている方の参考になれば幸いです。 またしても8600字くらいになってしまったのでお時間がある時に、ゆっくり読んでください汗 特に前半部分は、徒然なるままに書いていてまとまりのない文章かもしれませんが、予めご了承ください(._.) 民間企業に転職する理由 いくつもの理由がありますが、最も大きな理由は「私と現職組織の価値観や方向性が致命的に
自身の腰痛によるカイロプラクティクとの出会いが人生を変えた(2023.9.24投稿)
梶田了さんは大学卒業後、埼玉県庁に入庁。30歳を前にして、あと30年この職場を続けるのかと自問自答。そんなとき、以前ご自身が腰痛になったときに世話になったカイロプラクティクで身を立てることを決意し、県庁を退職し、専門学校を経て開業。とはいえ開業後数年は順風満帆ではなく相当苦労されたそうです。黒字転換し経営も安定した現在は、同業者の開業を支援するためのスクール運営も行っています。
始めに、自己紹介をさせて頂きます。 私は1967年に埼玉県の越谷市に生まれました。 子供の頃は、身体が弱く、小児ぜんそくや気管支炎、中耳炎などでいつも病院に通っていました。 小学生、中学生時代は、漠然と「将来は学校の先生になろうかな~」と考えて、親に褒めてもらいたいと勉強は頑張っていました。 右耳が聞こえないことがコンプレックスで、あまり同級生とは遊ばず、一人で江戸川乱歩などの推理小説を読むのが好きなちょっと暗い感じの子供でした。 そんな私が、人生最初の挫折を味わったのが、高校受験の失敗でした。 第一志望の高校に落ちてしまい、しかたなく滑り止めに受けていた高校に通いました。 と
世間では凄いと言われる都庁は、自分に合う職場ではなかった(2023.9.16投稿)
高校卒業後、韓国の大学に進学したMaiさん。勉強する中で、日本で仕事をしたくなって、新卒で公務員試験を受けて都庁へ就職。しかし、役所のぬるい雰囲気(改革改善意欲を削ぐ職場)に合わなかったようで、1年目の末に最初の辞職を申し出。さすがに慰留され、広報担当に配置転換。そこで一定のやりがいを見出すも、同じ仕事をずっと続けられない役所の宿命から出先機関に異動となり、通算4年勤務の後、退職してWebデザイナーの道へ。その後も、様々な仕事を経験されていることが、noteから読み取れます。
能力が高くても、役所の仕事に自分が合わない(アンマッチ)の典型的な事例を説明いただいていると思います。
私は2011年から2014年まで、公務員として働いていました。公務員を辞めた時の話を記事にしています。公務員を辞めたいと悩んでいる人に読んでもらえたら嬉しいです。(※2018年8月に書いた文章です。)
3年弱で見抜いた、県庁職員の将来性のなさ(2023.6.5投稿)
あき(@元公務員フリーター)さんは、関西地方の某県庁(noteを読めば分かる)に入庁するも、自分が役所の仕事のやり方に合わないことや、将来性のなさ(給与や退職金引き下げが予想される中、副業禁止で自分の努力で何とかすることができない)などを、たった3年弱の勤務で見抜いてしまい、退職を決意。さまざまな人の縁を得て、現在はフリーで活動中。退職時に言われた「公務員を辞めるなんてもったいない」に対して、”自分にあってない環境で数十年仕事する時間の方が、よっぽどもったいなくないですか?”とビシッと言い返してしまうところが凄いです。役所に慣れ、諦めてしまった人からは絶対出てこないような鋭い指摘がこれでもかと綴られています。あなたも同じ考えならば、さっさと辞める準備を始めたほうがいいよと背中を押されそうな気分になってしまうnoteですね。
石の上にも3年というけれど はじめまして。あきです。 97年生まれの25歳です。 大卒で地方公務員(行政)の事務職についたのですが、 2022年末を持って退職しました。 3年目の年度途中です。 何も後悔はありません。(辞めたばかりだからそりゃそうだ。) 急に誰が何言ってんだとなると思う(確実になる)ので、とりあえず自己紹介を。 自己紹介 性格 これまで:やりたいことは割とやってきたけど、イメージが変わるのが苦手 これから:周りにびっくりされても、やりたいことをやっていく 理想の人物像 かっこいい人。とにかくかっこいい人。(あ、私は女性です。) 見た目も中身も、女性でか