手堅い職場として選んでいる人も多い専門職ですが、辞めている人もそれなりにいるんですね。
コロナ禍がなければ、公務員を辞めることはなかっただろう(2023.9.2投稿)
行政栄養士として、県庁に10年間勤められた浅香恵美さんは、職種柄、保健福祉系のキャリアを積んでこられたようですが、ここ3年間は、新型コロナウイルス関係の仕事をされていました。そこで、
「組織のゴタゴタに巻き込まれ、行政という組織の構造的な問題を垣間見る中で、定年延長で65歳までこの働き方をするのか…。と思ったときに、もう少し違う働き方ができないかな、家族を大切にした人生が送りたい、と模索し始めたことが、退職を考えるきっかけでした。」
という経験をし、結局退職してフリーランス管理栄養士への道を歩みだしました。
「コロナ業務をやっていなかったら、定年退職までなんとなく、公務員でいた気がします。コロナ業務に従事したことで、本当に大切なものが見えました。ある意味、コロナで人生が変わってしまったのかもしれません。」
コロナがきっかけで、公務員の在り方に疑問を持った人は少なくないと思いますが、実行に移せる勇気には拍手を送りたいです。
はじめまして。 元公務員の浅香恵美です。 2023年3月に、10年間勤務した某県庁を退職しました。 こころよく送り出してくれた仲間たちには感謝です。 私の働いていた所属は、人柄もよく、仕事もできる同僚の集まりで、とても居心地がよかったです。 公務員は、給与、福利厚生、休暇制度なども整っていて、働きやすい職場でした。 10年間のうち、3年間は新型コロナウイルス対応業務をしていました。コロナ業務を通して、組織のゴタゴタに巻き込まれ、行政という組織の構造的な問題を垣間見る中で、定年延長で65歳までこの働き方をするのか…。と思ったときに、もう少し違う働き方ができないかな、家族を大切にした人生が
激動のコロナ禍から落ち着いて気づいた自分。県庁を去り、新たなステージへ(2023.6.3投稿)
大学の看護課程で看護師・保健師を取得し、県庁に行政保健師として就職したさちゃさんは、その在任期間をコロナ禍とともに駆け抜けた方といっていいでしょう。保健所が激務であったことは報道されているとおりですが、コロナが落ち着いて冷静に自分を振り返ったとき、食に関する仕事がしたいという考えに至り、転職を決意することに。大学卒業時点で、当初は行政志向ではなく企業への就職を考えていたという視野の広さも、転職に影響したように思えます。
さちゃです。 前回は拙い文章をたくさんの人に読んでいただきありがとうございました! 今回は実際に県庁に入庁してから転職を決意するに至るまでを書きたいと思います。 私が配属されたのは全然地元ではない、より田舎の保健所でした。 全く土地勘のない場所での配属初日は、異動により勢力を総引っ換えになり残された既存メンバーがコロナでパニックになっている状態でのスタートでした。 辞令式もなく、同期もいない。 入職にあたる事務手続きのやり方も誰にも聞けずひたすら慣れないパソコンのシステムでマニュアルを読み漁り、少しずつ手続きをして初日を終えました。 辞令式は後から聞いた話だと本庁ではやってたみたいで