刑務所で受刑者相手に仕事をする刑務官や、非行少年相手に矯正教育を行う法務教官などは、一般国民が直接接する機会がない、珍しい国家公務員であるゆえに、転身して活躍されている方が書いたnoteの中には、職種が違う人にとっても興味深く読める情報がたっぷりあります。
法務教官の経験や技術を、学校や家庭の役に立てよう、という先人なき未知の領域へ(2023年6月24日投稿)
民間営業マンを退職し、アルバイトをしながら試験勉強し、法務教官(少年院などで非行少年に対する矯正教育などを担当する専門職)の採用試験に合格・入職した、へいなか(安部顕)さん。法務教官として、熱い仕事をしつつ、twitterでも多くのフォロワーを獲得し情報発信に努めてきたのですが、法務教官の経験や技術が学校や家庭の役に立つのではないかと考え、もう一度チャレンジャーに戻りたいという決意を固め、退職を選択。その後、障害児の放課後デイサービス運営会社で活躍されているとのことです。
【ご報告】 令和3年3月31日,僕は法務教官を退職しました。 退職願を出したのは3月2日。 そこから今日まで… 退職のあいさつ 家探しから引越し 4月以降の仕事の模索… と,怒涛の日々を送って今に至ります。 Twitterの140文字では,誤解を生むことも,また疑問を生むことも多いだろうと思いますので…大したことではありませんが,ここに退職の経緯とこれからのことを少しずつ書いておきたいと思います。 1)退職の経緯と意図 僕は以前から「いずれ法務教官を辞める」と考えていました。 そこには,僕自身の仕事への思いだけでなく,家族(妻と娘)のことや親族のことなどへの展望も含ま
罪を犯す前に出会えていれば、この人を救えたのではないか、という思い(2023年6月24日投稿)
刑務官(刑務所職員)として、他人(受刑者)に変わるきっかけを与える仕事にやりがいを感じ、天職だと思って11年間働いてきた村上翔太さん。しかし、刑務官という立場にいると、あくまで犯罪を犯して刑務所に入った人にしか影響を与えられないということに気づきます。犯罪に手を染める前に人を助ける手段はないのかと考えたことが、公務員を辞めてコーチとして活動するきっかけとなりました。
僕がなぜ、11年間勤めた公務員を退職して コーチとして活動をしているのか? 今までSNSでは話せなかったので 今回初めて語りたいと思います。 天職だと思って働いていた 僕は11年間、刑務所で働く『刑務官』として 犯罪を犯した人が社会復帰できるための 改善更生の指導をしてきました。 刑務官時代、災害支援の時の様子 僕は刑務官という仕事を 天職だと思って11年間働いてきました。 僕は罪を犯した人が 人生をやり直すための『キッカケ』を与えられることに やりがいと誇りを感じていました。 彼らの社会復帰の指導をしている時に 『本当はどんな人生を歩みたいのか? 今までの人生は
県職員の冷たい門前払いからの起死回生(2023年6月21日投稿)
金谷どうはんさんは、刑務所職員として27年勤務したものの、パワハラを受けて体調不良となり退職を選択。九州の地方都市へ移住してゲストハウスの開業に向け準備するも、県の建築当局からの承認が下りず断念。物件は用意してしまっており、この時点で起業は詰んだかに見えたが、打開策を探るために図書館に通っていたときに古本の絵本屋を開業する着想を得て、業種転換を決意。単なる古本屋ではなく地域の交流拠点のような機能を整えたことや、元刑務官という経歴も影響したのか、地元メディアに何度も取り上げられて話題となり、起死回生の大逆転。その後は、移住者の交流団体の立ち上げや、学校での読み聞かせ活動にも参画されているそうです。
全文無料公開に当たっての注意事項 「絵本屋さんになりました!~元刑務官が子どもの居場所を作るまで〜」の全文を無料で公開します。これは、「日本中の全学区に絵本屋を作りたい」という目標のために、私が「えほん月波や」を開店した時に得たノウハウを書いたものです。これをヒントに皆さんの近くに「絵本屋」を作って欲しいと考えたからです。ぜひ、使ってください。できれば多くの方に知ってもらいたいのでSNS等での拡散をお願いします。また、Clubhuseで「えほん月波や」の名義で「絵本屋をやりたい人集まれ!」といroomを行っているので、お話ができたらうれしいです。 ただし、著作権の放棄はしていませんの